[ごあいさつ] 修習終了 (and I did it my way)

『解釈と鑑賞』という誌題の国文学雑誌がある。

修習生はまさに実務家たちの舞台を桟敷席から解釈し鑑賞することにふけってきた。

しかしそのオママゴトも今日限りで退席となり、自己の署名押印により発生する責任は天文学的に増加する。

いよいよですゾ。

ここからですゾ。

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手元に四冊の大学ノートがある。

修習での手控えとして使っていたもので、事件についてのメモや講義の要点が記されている。

その一冊目の裏表紙に、「初心忘れるべからず H21.12.6 北海道警察OB K. Harada」という走り書きがある。

これは昨年末に志布志の冤罪シンポジウムで原田宏二氏にお会いした際、おずおずとお願いしたもの。

原田氏は北海道警の釧路方面本部長を務め、道警の裏金問題を実名告白した(このあたりのドラマは北海道新聞取材班『追及・北海道警「裏金」疑惑』『日本警察と裏金』(いずれも講談社文庫)でまとめられており、ジャーナリズム精神の輝きを放つ)。

「初心忘れるべからず」というポピュラーな言葉には、ポピュラーな解釈がある。すなわち、劈頭にあって抱いた情熱や志を、現実という壁や種々雑多な誘惑を前にしてでも貫くべきである、というのがそれ。

他のシブい解釈もある。

世阿弥が『花鏡』で「初心忘ルベカラズ」と記したのを、山崎正和は『変身の美学』で次のように読み解く。

「けっして初心のまじめな覚悟や情熱を忘れるなという道徳的な教えではない。むしろ初心の芸がいかに醜悪であったか、その古い記憶を現在の美を維持するために肝に銘ぜよという忠告なのである」

「たんに習道者の怠慢をいましめる言葉としては、これはいささか残酷すぎる教訓だといわなければならない。現在の芸の水準を維持するために、世阿弥は美しい未来の夢よりも過去の醜悪な姿を思い出せと奨める。かりにどれほど美しい表現効果がつくられたとしても、それは一瞬の成功によってかすめとられる奇蹟の産物にすぎない。かたときでも緊張をとけばそのすぐ裏側に、人間本来の不器用な姿がいつでも顔を出そうとして待ちかまえている」

出発にあたり胸を熱くした情熱も、我がことながらイヤになる醜悪さも、ひとしく忘れてはならぬのである。

今はそういう心境で原田氏からのメッセージを受け取っている。

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グレアム・グリーンに『おとなしいアメリカ人』という好著がある。

この本の主人公は中年の盛りを過ぎたイギリス人記者であり、フランスとの独立戦争で揺れるベトナムで特派員をしている。本国には妻がいるが関係は破綻しており、ベトナム人若い女性とのんびり暮らして余生をうっちゃることこそが、シニカルな彼にとっては最重要事項となっている。

そこにパイルという若いアメリカ人が赴任してくる。理想(善意に満ちた机上の空論)に燃える彼は、植民地主義でも共産主義でもない第三勢力を援助しようとしてロクでもない相手に武器を流し、無差別テロを引き起こし、返す刀で主人公から女を奪うことを正々堂々と挑戦し、実際に女は荷物を持って去る。

主人公はパイルが暗殺される計画をアシストし、実際にパイルは暗殺され、そして女は荷物を持って戻ってくる。

以上があらすじであり、パイルをさして「おとなしいアメリカ人」と呼ぶのは、超一流の皮肉と言わなければならない。

このブログのタイトルを「おとなしい修習生」にしたのは、実際の修習生活に照らすことでせめて二流の皮肉になればいいナという願望をこめてのことだった。

修習生活での心残りは幾つかあり、それらはひとえに私が本来の意味で「おとなしかった」ことに由来する。

「つまらない修習」はない、ということを後輩の修習生には伝えたい。

「つまらない修習生」がいるだけである。

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修習終了に合わせて、このブログは更新終了となります。

修習生活の本質よりも、それにまぶしたスパイスばかり書いてきたような気がしますが、それもまたヨシとしましょう。

世に稀なご愛読の方々、お付き合いいただきありがとうございました!


(またね!)